アーサー・ビナード氏は、大学時代に日本語をかじり、卒業してから来日し、日本語で詩を書く「詩人」となった驚嘆すべき「ことば」の才能の持ち主です。
そのビナード氏のエッセイが「空からきた魚」と「出世ミミズ」です。どちらも詩的なタイトルですね。ミミズを詩的と言ってよいのか、ちょっと躊躇してしまいますが・・。
これが「すみれ」とか「大海原」などだったら躊躇しないだろうと思うあたり・・ことばって不思議です。
さて、著者が後天的に身につけた日本語でエッセイが書かれているのですが、普通の身辺雑記としても目のつけどころが面白い。
自転車好きで昆虫好きでアウトドア派でしかも米国とイタリアとインドで暮らしたことがあり、東京と青森を往復しているという、「複眼」の持ち主だからこそ書ける話題満載です。
それが「日本語」で綴られているわけですが、その「ことば」に「あれっ?」とひっかかることがあります。それが不快なひっかかりではなく愉快なひっかかりなのです。
以下に「気になる文章」の一例を引用するとこんな感じです。
というのは、懇意にしてもらっている家へお邪魔に上がれば、風呂無し児を哀れんで、「よかったら浴びていけば」といってくれるのだ。その言葉に甘えて、ぼくは湯銭を浮かすのだった。(P.132)
この文章、意味はわかる、文法も漢字も間違っていないと思います。でもなんだかひっかかるのです。どうしてなのかつらつら考えてみると、ひとつは「お邪魔に上がる」という謙譲表現が自分の日常にはないこと。もうひとつは「よかったら浴びていけば」という表現が非常に東京的というか江戸的に感じられること。さらに「懇意」「湯銭」という漢字で「非日常感」が追加といったことが原因のようです。
そもそもよそのお宅でお風呂を借りるという状況からして「非日常」の範疇ですが・・。
でも、この文章から総合的に受けとる情報からは「東京の人もまだ人情があっていいねぇ」「よかったね」という感想が出てきます。この「にこにこ感」と「ことばそのものに対する違和感」を一度に味わえて二度おいしいのがこの著者の文章です。
ひっかかるたびに「自分ならどう表現するか」「何がひっかかりの元なのか」つらつら考えながら読むととても楽しいです。
それにしても、著者は、小学生に混じって書道を習い、短歌に俳句に謡(うたい:見たこともきいたこともありません)まで。すごい行動力です。
やっぱり「達人」になるには行動力が必要なのですね。見習おう。
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