内容の前に、まず入手するのに一苦労。近所の書店4店をまわって、4店目の大型店でやっと発見。新刊といえども、全部が入荷されるわけではないということを身を持って体験しました。大型書店では平積みになっていたのですが・・。徒歩圏内に本屋が6件もあるという激戦区なので、新刊ならあるだろうと思いましたが意外に入手が大変でした。
しかし苦労した甲斐あって読み始めたら止まらなくて一気に1日で読みきりました。
NHKTVのアラビア語会話(現在再放送中・写真中央の美しい女性がカリーマ先生です)で何年か前にカリーマ先生の存在を知り、前著の「恋するアラブ人」も読みました。「恋するアラブ人」はアラブの詩・詩人がテーマの本です。次から次へと出てくる大詩人、名詩人の名前にまったくなじみがなく「ここまでアラブのことを知らないんだ」と妙な衝撃を受けるぐらいでした。
たとえ読んだことがなくても、ロシアの文豪、とかフランスの作家とかドイツの哲学者とか「名前を聞いたことがある」程度なら一人ぐらい心あたりあると思います。アラブ文学にもあってもよさそうなものなのですが、考えてみたら思い当たらない。単に無知なだけかもしれませんが。
そんな「知らないアラブ」への扉を開いてくれるカリーマ先生の新刊、いきなり「悪の枢軸を笑い飛ばせ」という章から始まります。なんと不穏な。と思いきや、米国でのアラブ系アメリカ人コメディアンの話題です。アメリカで中東系の顔立のアラブ系アメリカ人や中東からの移民の人がやりにくい日常を送っているであろうことはたやすく想像できます。しかし、それを笑いにつなげるコメディアンがいることは想像できなかったので、なんだかほっとしました。
それにしても、前項のアーサー・ビナード氏の著書にも出てきた「なに人」問題(勝手に名付けてしまいました)、この本でも随所に出てきます。個人的に非常に驚いたのが以下のエピソード
(カリーマ先生がドイツでのある市立美術館のパーティに「日本から来たミス・モロオカ」と紹介されつつ談笑していて。以下引用)
「私はエジプト人なので。父がエジプト人で、私はエジプト育ちなのです」
この一言で、それまで私に興味津々だったパーティの出席者たちが、まるで引き潮のように一斉に私から離れていった。九・一一事件の一年半前のことである。(p.87)
このくだりで「ええーーっ」と非常に驚いてしまいました。そもそも、「父がエジプト人で、エジプト育ち」のどこに問題があるのか、なにをそのパーティの出席者に想起させるのか理解不能です。
また、この「ええーーっ」には個人的な背景があります。私は一度だけ「イスラーム」の人に対する生身の論評を聞いたことがあります。それは、昔昔の学生時代、ドイツ語を教えてくださったドイツ人教授が「イスラームの人はお酒をのまないし、まじめでよく働く。彼らは本当に素晴らしい」と絶賛していた1回のみなのです。
なんせ、今のところ空前絶後、それ以前にもそれ以後にもイスラームに対する論評を自分のことばで語られたことがないため、私の中では「イスラームの人=まじめで素晴らしい人」という刷り込みがされていました。
だから9.11は驚きでしたが、それでも何かのきっかけで人が狂信的になることはありうること。どこの国でも同じような危険はあるので「だからイスラームは」という発想にはつながりませんでした。特に私は「狂信的に戦争をした国」で、「宗教テロ」を経験している日本に住んでいるわけですし・・。
そんなこともあって、9.11前から「エジプト育ち」と表明しただけで場が引いてしまうという状況だったというのは衝撃でした。それもよりによって、ドイツで・・。
それにしても、人は「なに人」というのをどうやって判断するのでしょうか。
前項でのアーサー・ビナード氏の著書にも「フランス人にフランス語で話しかけられる」話と「生粋のアメリカ人」という表現にまつわる話などがありました。「イスラームから考える」にもこの「なに人」かという問題があちこちに顔を出します。
この「なに人」問題は私にも非常に身近です。というのは、日本にいれば、日本人と誰にも疑われることがない私ですが、海外旅行では「日本人ですか」と声をかけてくれたのはすべて日本人で、日本人以外の人には9割がた中国人だと思われるのです。
「どうして日本人には日本人だと思われるのに、他の人には中国人だと判断されるのだろう」という点、いつも不思議に思っています。同じアジアでも韓国ではなく必ず中国なのです。
ひとつの手がかりは見た目だとは思います。こどものころ見たTVで中国南部の少数民族を紹介している番組があって、そこに出ている人たちがあまりに自分の家族、親戚に似ているため「絶対先祖は親戚だ・・」とこども心に強く印象が残ったことがありました。
きっと外国では私と身体的特徴が似ている人は中国の人が多いので中国人だと思われるのではないかと思いますが、本当のところはわかりません。
そんな身近な「なに人」問題ですが、それが入国拒否につながったり、差別や不快なことにつながったりすれば深刻な問題です。イスラームやアラブの人、それに関係する人が神経質になるのもわかります。
見た目の話ついでに、イスラームの女性のベールについて以下のような記述がありました。
最近は東京でも、東南アジアなどの女性がベールを被って歩いている光景はまったく珍しくないし、日本人が違和感を抱いているようにも見受けられない。(P.73)
これはきっとその通りなのでしょう。その「違和感」の無い理由のひとつかもしれないと思うのが、当地の農村地帯の女性の服装。以前書いたとおり、「鳥獣保護区」と看板のある地域を通過して通勤しているのですが、通過後に広がる農村地帯を歩く女性はほとんど、髪を隠すかぶりものをしています。帽子ではなく布なのですが、ちょうどイスラームの女性のように髪も首も隠れるようになっています。(かぶった姿しか見たことがないので、どのような長さの布かは不明です。)
つまり、女性が髪を隠す服装はもともと日本でもそこそこ一般的で、見慣れているので違和感がないのではないかと思いました。私は「農村ファッション」と密かに名付けていますが、農村地帯の方々の独特の服装はよくよく見るとかなり都会で売っている服とは違うデザインとなっています。
それにしても、アラビア語ってかっこいいですね。この本でも、アラビア語の「音」に対する考察がありますが、カタカナ語ではやっぱり実感が薄いので、音声配信でもしてくれたらなーと思ってしまいました。
TVアラビア語講座(文化コーナーが大好きです)でカリーマ先生が朗読する時間があるのですが、「アラブのお姫様」もかくやという感じです。意味はさっぱりわからないのに「ああかっこいい」と音楽のよう思ってしまいます。私はお経も一種の音楽のように「わーかっこいい」と思うたちなので、ちょっと変わっているのかもしれませんが・・。
カリーマ先生の夢に「アラブの文化や歴史を彩る個性豊かな人々について楽しく読んでもらえるような本を書きたい」(P.175)というのがあるそうです。一部実現していますが、これからももっとどんどん書いていただきたいと思います。
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